うなぎの弥七
所在地 君津市中野3-3-8    周西小ななめ前
電話 0439-55-3712
定休日 毎週火曜日
営業時間 11時〜22時
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うなぎの弥七


鬼ノ胃情報局のコメントです

最近、この店でうな重を食っていないことに気付いた。
鰻を食していない訳ではなく、うな重を食していないのである。

今度伺ったときに食うことにして、話を進める。

店主の仕事ぶりは、カウンターから見ることができる。酒の肴に、その仕事ぶりを、つぶさに観察していると面白い。

鰻を捌くところを見ている。
異なるサイズの相手に対し、店主の不思議な手が、器用に包丁を操るのだが、そのリズム感が良い。
最初に、俎板に落ち着かせるまでは、個々の鰻の個性が表面に出ている(つまり、暴れ方が違うのだ)。
俎板には、尖った巨大な針を打ち込むホールがあり、首根っこというか頭というかを刺し通した針を固定する。

こうされると、ここからは、包丁人の思いのまま。
あの独特な形状の鰻包丁は、何故にあの独特な形状なのかが、素人でも納得できる。
格別切れるという妖しい輝きは無い包丁なのだが、スムーズに切り開いていく。
逆に切ってはならない部位には刃先が中らない。
職人の腕で切っているのである。包丁は、あくまでも道具なのだ。
しかし、この道具という奴には、愛着があるのだ、と言う。

かつて、魚市場で、大型の魚を捌く職人を眺めていたことがある。
その職人が手にした出刃包丁が、奇妙なのだ。大袈裟に言えば、切り出しナイフのサイズなのだ。
お察しの通り、砥石と水の力を借りて、長い年月の手入れ作業は、鉄の包丁をここまでサイズダウンさせる。

愛着だとか好みだとか、人間の感性の領域の問題を、物理的な数値で一般的に表現する方法がないから、こんないい加減な文章を綴ることも可能なのである。喜ばしい。

焼き、蒸し、焼きの工程が終了する直前に、黒塗りの容器に暖かな飯が盛られる。タレをかける。この”タレ飯”の上に鰻本体が置かれ、櫛が抜かれる。仕上げにタレが再び注がれる。
これも、リズム感が良い。
よく見ている。と、注文の数が二つ、五つ、九つと入る。それぞれの数によって、”焼き”から”再タレ”までのリズムが異なる。
数の多い方が、当然ながら、単位時間あたりの仕事量は多くなるのだろうが、急いている感じはないのである。
体内メトロノームのテンポが、長い間に培われ、二つ、五つ、九つといった注文の数に応じたピッチが出来上がっているのだろう。

気持ちの問題で、ほんとかよ!の世界の話をすれば、私は、四つの注文時のテンポが好きだ。


初めて行く時はちときついかも。おやじもお客も少し…。
とつきづらいのと違います。むしろ..。

おやじ(店主)とかあちゃんとの口喧嘩をつまみに一杯もおもしろい。
乱闘がないのがいまいち迫力に欠けるが。

焼き鳥もやっている。一本100円。冗談かと思った。

馬刺し。信州直送だそうだ。九州産ではない。
見た目の美しさは、日によって若干の当たり外れはある。
おやじもそのあたり気にしていて、なにかコメントするだろう。

魚は地元の大貫とか竹岡で揚がったやつを浜からそのまま入れている。
うまい。しかし、最近ほんと魚高いですね。特に焼きで食すものは。

宴会ではなく、一人とか二人とかあるいは家族とかで店に入ったときのセットプランを検討中です。

はじめてのデートに使おうとする店ではない。これははっきり言えます。

うなぎの味に関して。

最近のうなぎ飯は、鰻がべちゃっとしてそのままトロケル式の作り方が主流のような気がする。
鰻は野性味たっぷりの食い物だったはずだ。
これを、何とか品のある料理に昇華しようとして様々な工夫が考えられていった。
ところが、この方向に突き進むうちに、そもそもの野性味をなくしてしまった。

これで良いのか?の疑問の答えのひとつが弥七のうな重だと思う。
もっとも、店主本人は自分流をずっと通しているだけだろうが。

だから、きょうびのうなぎ飯に慣らされた舌には、驚き‐つまり違和感を感じるかもしれない。
うまい、は、保証できる。要は、好き嫌いの出るところだ。これは判断しかねます。

とにかく一度ご賞味あれ。おすすめは”特選”うな重だけど、堂々と”梅”注文できまり。

蒲焼という形態の肴は個人的に好まない。飯の上に乗った(つまりうな重)のを肴にしたい。

鰻のてんぷらは置いていない。それが主義だと言う。訳は答えてくれない。

白焼きがあるのは嬉しい。熱いところを何人かで一気に食すこと。

あとは、言い忘れるとこだったけど 日本酒 磯自慢 ありました。